ザ・ローリング・ストーンズの初代リーダーは今は亡きブライアン・ジョーンズ。これにちなんだニュースがあったので紹介。
イギリスのダートフォード駅に銘板があり、こう記されていました。
「ザ・ローリング・ストーンズ ブリティッシュ・ロック・バンド ミック・ジャガーとキース・リチャーズは1961年10月17日、このプラットフォーム2で出会い、史上最も成功したロックバンドの1つ――ザ・ローリング・ストーンズを結成することになった」
これにイチャモンをつけたのが、何を隠そうザ・ローリング・ストーンズのオリジナルメンバーで初代ベーシストでもうバンドを離れてしまったビル・ワイマン。ビルいわく「ストーンズはミックとキースが作ったバンドではないんだよ。彼らは俺と同じストーンズの一員だったんだ。ブライアン・ジョーンズがブルースをやりたくてメンバーを集めて結成したのがザ・ローリング・ストーンズというわけ。バンド名もマディ・ウォーターズの曲からローリング・ストーンズと名付け、選曲もブライアンがしてた。その頃のリーダーはブライアンだったんだよ」。
これを受けて、ダートフォードの市議会は銘板の内容を一部変更するそうです。
「ここでミックとキースが出会い、ザ・ローリング・ストーンズの一員になった」と。
ビル、ナイス突っ込みという感じですね。ビルはストーンズの活動を日記にもつけていたくらいでストーンズの生き字引とも言われていた過去があります。出版もされているので興味ある方は読んでみてください!
ストーン・アローンは上下巻の大作です。ビルの本は興味深いところが多々ありますが、愚痴っぽいところがありますね。ストレスも溜まっていたんでしょう^^;
ストーン・アローン―ローリング・ストーンズの真実〈上〉
こちらは貴重な写真が満載の第二弾。ビルの収集癖が功を奏し、非常に資料的価値も高いものになっています。こちらもビルの主観で書かれたものなので、彼の気持ちを知るにはいい本ですね。こちらでも愚痴ってます(笑)。
ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ (Sho‐pro books)
ブライアン・ジョーンズが亡くなってからはミックとキースがストーンズをけん引していますし、リーダーでもあるわけで、ビルとしては力づくで押さえられたりとか、まぁいろいろとあったわけなんですね。レコーディングではキースがベースやっちゃうし(ミック・テイラーやロン・ウッドも)。ビルの曲はなかなか採用されないし(正式には1曲のみ。アウトテイク含めると2曲)。ビル自身も言ってましたが、ニューアルバム作るぞっていうとミックとキースはそれこそ候補となる曲を100曲以上も作ってくるそうで、とても自分の出る幕はないと悟ったそうです。
そういうことを経ていろんなバンドをプロデュースしたり、映画音楽作ったり、ソロアルバム出したりという活動に入っていくわけですね。何を隠そう、ストーンズメンバー在籍中に初めてソロアルバムを作ったのはビル・ワイマンです。それに対してはミックもキースも怒らなかったんですね。そういう事情があったので、ある程度許容してたのだと思います。ミックがソロ出したときはキースは激怒しましたけど。とは言いつつ、結局キースもソロアルバムを出しましたしね。
話はそれましたが、ビルの本はなかなか興味深いですよ。その場にいたメンバーが書いているんですから。結構赤裸々です。